叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

無縁社会

今日からは夜勤、時間外労働はないだろうなぁ。


珍しく10時過ぎまで寝ていて、のんびりしながら過ごした。


テレビをつけても、コロナウイルス関連のニュースかサスペンスの再放送しかやっていないので、ここ最近は読書が捗る。


昨日は、無縁社会という本を読んだのだが、暗澹たる気持ちになってしまった。


地縁、血縁、社縁が絶たれた後、誰とも接触することなく生きていた人がひっそりと死んで、遺体の引き取り手もなく、行旅死亡人として処理されてしまう。


そういう人たちのバックボーンを探る中で、人生の歯車が少し狂っただけで、誰でも行旅死亡人になる可能性がある恐ろしさ、現代社会の問題点を提示してゆくお話だった。


私は今のところ仕事もしているし、両親も健在だから、差し当たって孤独死することはないけれど、あと20年後はどうだろう。


結婚もしていない、特に仲が深い友人がいるわけでもない、地縁の結びつきが強い田舎に住んでいるわけでもない。


前向きな要素はひとつもないのである。


全く、コロナウイルスのせいでイヤな本を読んでしまった。


どうしようかなぁ、どうしようかなぁということしか、今は思うことしか出来ない。


まずはひとりにならないための対策をする。


一番いいのは家庭を持つことだろうけれど、手っ取り早いところではシェアハウスとか、会社の寮に住むとか。


男女ひとつ屋根の下では何か起こる、なんて固定概念さえ覆せれば、別に好意を持たない同士の男女が一緒に住んでも問題ないと考えている。


次にひとりになってしまった後は繋がりを作るための努力をする。


習い事でも趣味の世界でもいいだろうけれど、これらの繋がりはいざという時には役に立ちにくいだろうから、これはどうすべきだろう。


最近、司馬遼太郎竜馬がゆくを読んだのだが、たとえ感情的に反りが合わない相手同士でも、利益を通じてなら繋がることができるという記述があった。


そうなると、やはり稼ぐこと、ビジネスを通じて、いつまでも他人と繋がっていられるような環境を作る必要がある。


農業なんかは、ある意味向いているかなぁと思うけれど。


そして、最終的にはひとりで死んでも周りに迷惑をかけないような環境を整える。


金銭面はもちろん、どんな葬儀をするのか、どこの墓に入るのか、親族への連絡、役所の手続き等、全て死ぬ前に決めておいて初めて、あいつはひとりで立派に死んだといわれる時代が来るはずだ。


これは、ちゃんと仕組み作りが出来れば、ビジネスになると思う。


期間工を辞めても、多分何か本職はやらなければならないだろうけれど、全く自分のために、こういうビジネスを動かしてみたい気もしている。


ま、結婚して子どもつくって、孫と遊びながら死ぬことが出来ればそれで良いのだろうけれど。





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