時間外労働、なし。
相変わらず作る数は少ないけれど、ネチネチと機械が壊れて、なんとも嫌な気分だった。
どんと壊れて、後は快調に動いてくれたほうが余程よいのだけれど。
最近は本ばかり読んで、命の使い方など、余計なことばかり考えるのが趣味になりつつある。
要は生きるために生きて何が愉しいのかということであり、最早そうなってしまった人間が自らの命を屠ることを考えるのは悪なのだろうか。
よき死に場所を得るなんて、現代においては死語もいいところだけれど、先人たちは、そのために一生懸命に努力し、生きてきたのだと思うと、そんなハリのある価値観を持ってい先人を少し羨ましいとさえと思ってしまう。
私は、当然、そんな高尚な理想から、この尊厳死をいうのではないが、それぞれの命の始末を、もっと柔軟に考えるべき時がきているのではないかと思っている。