叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

令和8年8月20日


鹿児島、快晴。

実に現場作業員殺しの晴天だ、雨や風も辛かろうが比較的一過性のものだし、身体に異常を来して死んでしまうようなことはあまり無い。

ただこの炎熱については違うわけで、少し油断しただけでどんな健康体の人も死んでしまうし、外で仕事をせねばならないのだから避難のしようもない。

退っ引きならない状況で仕事をせざる得ない身としては、自ら選んだ道だから文句は言うまいが、テレビの天気予報で対策を対策をと連呼しているのが空虚に思えてくるね。

本日はありふれた挿話をひとつ、やかまし屋のおじさんと鉄面皮のおばさんについて。

仕事の立場上やかましく言わねばならない人がいて、私も多少煩いなァと思わぬではないが、それに対していちいち反駁するおばさんがいる。

おばさん特有の厚かましさというか、おじさんの言うことは何も生活面の注意ではなくて仕事上のことなのだから、基本的にはハイで従わねばならぬのに口答えをするのだ。

私からすれば逆に感心してしまうわけだが、粘り強く言い続けるおじさんも中々凄い。

様々な人間模様を見学させていただいている。

令和8年8月19日


鹿児島、快晴のち曇り。

相変わらず仕事だが、もう特に書くことがなくなってきた。

なんとなれば、既に独り立ちをさせていただいたからだ。

今日は昨日よりも視野が広がって、歩行者や自転車の誘導をやってみたり、工事現場の車両の出し入れをやってみたりした。

まだまだ油断は禁物だし、慣れてくると変なオリジナリティが顔を出してしまいがちだが、決してそのようなことにならないように気をつけようと思う。

令和8年8月18日


鹿児島、快晴。

外仕事をする人間には辛い天候である。

研修2日目は流石に昨日のような楽な仕事はさせていただけない。

車がひっきりなしにやって来る道路の片側交互通行の警備をさせられる。

始まるまでは本当に出来るか非常に不安だったけれど、半日もやればある程度慣れてしまって、無線のやり取りや旗の振り方について多少の指導は受けるものの、期間中にも関わらず一人でやらせていただいた。

それにしても、1日に何十台と行き交う車を案内していると、運転マナーの悪い人間が相当数いることに吃驚する。

法律的には我々警備員の指示に従う義務はないから勝手にやってもらえれば良いのだけれど、それで事故をすればそういう人たちは我々に責任をなすりつけて来るのだろう。

当然、しっかりと対応してくれる人たちが殆どで、人によってはいちいち頭まで下げてくれるので逆に恐縮する。

明日以降も調子に乗ることなく、慎重に慎重にやっていきたい。

令和8年8月17日


鹿児島、快晴。

久方ぶりの外仕事で疲れた。

電力会社の人たちが電線の近くまで伸びてきた木の枝を切る作業をするので、その間の交通整理をするのが今日の仕事。

鹿児島の田舎道では通る車も殆どなく、交通整理をする意味があるのか分からないレベルだが、何かあってからでは遅いのである。

何も起こらなかったことを、我々は望外の悦びにしなければならない。

作業をする場所もコロコロ変わるから、炎天下の中立ち続けなければならないということもなく、初日の作業としてはなかなか気楽なものだった。

ただ、世の中そうウマくコトが運ぶものではない、今から待機、何の連絡もなければ今日の作業は終わりということで、作業服もぼちぼち脱いで帰る準備を始めた段階になって事態は急変する。

そもそもそういう連絡が入ること自体が稀だということだし、せいぜい竹でも引っ掛かっているのではないかとのんびり構えて現場に行くと、倒木が電線の上に覆い被さっていた。

クレーンでも連れてこないと退かせられないほどの大きさの木だし、電線は切れているからそれも繋がなければならないしで、なかなか大変な工事になってしまった。

相変わらず車が通ることはないから、我々の仕事自体は楽だったけれど。

マ、楽とはいえ疲れたことは疲れた。

さっさと休もう。

令和8年8月16日

鹿児島、

昨日のアルコールは非常に良かった。

外国の麦酒の小さい瓶を2本、ゴーヤチャンプルーと麻婆茄子をアテにして大いに満足。

最近は食べる量もお酒の量も減ってきているから、なかなか安上がりな人間になって実にありがたいのだが、よほど慎重にメニューを選ばねばならないから、その点だけは大変難しい。

このぐらいの酔いでは足元も手元も確かだから、歩けるところまで歩きながら写真を撮り続けた。

半日も撮り歩いていないのにフィルムカウンターが24を示しているのは多少やり過ぎたような気がするし、同じような構図を重ねたり露出がどうしても足りぬだろうという場面で撮ったりもしたけれど、素直な気持ちで撮った写真ばかりだから、出来上がりについてはとやかく言うまい。

今日は明日からの仕事に備えて必要物資の買い出し。

あまり愉快な行事ではないが、それでこそ休日の愉しさが何倍にもなるというものだ。

通勤用のレンタルバイクも受け取りに行って、これで鹿児島での生活の準備が殆ど整った。

働くことは好きではないけれど、生きてゆくためには仕方があるまい。

令和8年8月15日


今日は大日本帝國が戦に敗れた日、一応触れておかねばと思い書いたけれど、英霊に対して顔向け出来ぬような生を貪っている私が何かを言うべきではないとも思う。

照準器


だからこそ、私は努めて日常を過ごす。

それが本当に嘘のない私だと思う。

昨日夜中に書いた散文は日記にするのは不適だと思ったから、単独でアップロードしてしまった。

要はただただ淋しいということ、愉しいはずの、一面では疑いようもなく愉しい写真によって、私の淋しさが浮き彫りになってしまうことの憐れさを書いた。

お盆だから、そういう人間模様を目にする機会が多いから、多少sentimentalになっているのかもしれない。

私にも家族はあるが、両親は今朝も小競り合いをしていたし、連れ立ってどこかに出掛けるようなことをする人種でもないし。

表層をなぞっただけで他人様の幸不幸が分かるはずもないけれど、私の目にはそのように見えているのだからそれもひとつの真実ではあるだろう。

結局は撮る他に能のない私は、今日も街をぶらぶらと彷徨った。

劇薬の効果がどちらに転ぶかは分からないけれど、停滞しているよりは余程マシだと思うから。

然しながら、勇んで出てきた割には人が少なく、撮影というよりはのんびりした休日、珈琲屋に行って本屋に立ち寄って、最後はビールを飲んで終わった。

それでも、無理のない態度で撮影相は良かったと思う。

写真を撮ること


写真を撮ることは愉しい。

捉えるべき瞬間を捉え得た時、構図が露出が意図した通りになっていた時に感じる悦びは実に強烈で、何物にも代え難いものだと思う。

然し乍ら、最近は非常に悩ましいことがひとつ。

それは、私が人間を、それも倖せそうな人たちを狙って撮っていることだ。

成る程人間の営みは美しいと思う。

だからこそ私はそれに惹かれて、シャッターを切っているのだろうとも思う。

ただ、撮影者である私はそれが無性に羨ましくなる。

ひとり街を彷徨って、他人様の後ろ姿ばかりを追いかけている自分が情けなくなる。

そして、最近はそんな淋しい私ばかりを自覚してしまう。

撮らねば淋しい、撮ればもっと淋しい。

写真を撮る悦びだけを享受するだけなら、もう少し単純な被写体もあっただろうに。

せめて、持たざる者の悲哀が写真を通じて誰かに伝わらんことを。