叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

generation gap


職場は相変わらずの少量生産で、掃除も改善もほとんどやり尽くしてしまったから、休憩所に座って雑談をすることが多くなってきた。

この雑談というものがどうにも苦手で、特に20代の若い人たちと話すのがどうにも辛く、最近はひとりでひっそりと座っていることが多い。

私自身はまだ若いつもりでいるし、年下の人間に先輩風を吹かせるつもりもないのだが、相手が年齢の壁を乗り越えてコミニュケーションを取ってくれるとは限らないし、周りに同年代の人間がいればその人たち同士で話をするのが当然である。

私は誰かとおしゃべりをする為に仕事に行っているわけではないから、若者とのコミニュケーションが弾まずとも一向に構わないつもりでいるのだが、今のように若干の疎外感を感じる時間が長いと、自分がおじさんになってしまったことがどうしても自覚されて少しずつ精神を蝕まれていくような気がする。

工場勤務というのは、必要以上にコミニュケーションを取る必要がないから良かったのに、少量生産のおかげで余計な悩みは増えるし、給料は減るしであまり良いことがない。

今はただ、通常通りにラインが動いてくれることを願ってやまない私がいる。

告白


ズマールと心中するつもりでいたのに、いま私の手元にはエルマーがあることを告白せねばならない。

以前所有していたエルマーについては、描写が気に入らなかったのと、全回転のピントリングがしっくり来なかったので手放してしまっていたのだが、やはりⅡ型にはニッケルのエルマーをセットしたいという欲望を抑えることが出来なかったのだ。

写りについては、ズマールの方が私の好みに適合していることは間違いない。

ただ、これは誠に厄介な話なのだが、撮影者はカメラやレンズに対して写り以外の何かを求めてしまう人種でもあるのだ。

特に、私のように古いカメラを使っている人間は、撮影をしていない時間もひたすらカメラを眺めたり触ったりしているから、カメラの佇まいとか操作感とか、そういうものに対して大変こだわりが強い。

今回も、II型とニッケルエルマーの洗練された佇まいを手元に置きたいという欲望に、どうしても抗うことが出来なかった。

私にとって、II型とズマールが最も信頼のおける組み合わせであることは、おそらく揺ぐことはないだろう。

ただ、個体差が激しいオールドレンズのこと、今回購入したエルマーがそれを超える写りを叩き出してくれぬとも限らない。

オールドレンズの沼はどこまでも深いようだ。

興味


あなたは他人に興味がない人だねと言われた。

そうだねと、強く否定することは出来なかった。

私とて必要最低限の人間関係は構築せねばならないと考えてはいるが、その最低限が他人よりよほど低いようでしばしばこのようなことを言われる。

ただ私としては、他人に対して興味を持つということが具体的にどういうことなのかが分からないのだ。

例えば公共の場所で、他人に対して善意を示すことがそれであるならば人並みにやっているつもりだし、例えば他人の外見や思想信条に口出ししたり、無責任なゴシップを愉しむことがそれであるならば、私はそのようなことをあえてやりたくはない。

やはり一般的には、特定の誰かに親愛の情を見せることがそれにあたるのだろうか。

だとすれば、私は三十余年そのようなことをしてこなかったし、これからもそれをする機会に恵まれるとは思えない。

この手の話によくある、相手に深く踏み込むことで自分が傷付きたくないし、相手を傷付けたくないというような高尚な考えを持っているわけでもないから、私は他者との距離を取り方がおかしい人間なのだろう。

それが淋しいという感情を持たぬわけではないが、どうせ最後は全て消え失せてしまうと分かっているものに対して、そこまで真剣に考える必要もあるまいという感情の方が強い。

やはり、私はどこかおかしいのだろうか。

変更


夏は北海道に行くつもりでもう飛行機のチケットも宿も予約しているのだが、ここにきて鹿児島への帰省と湘南漫遊の選択肢が浮上してきており、いずれを選ぶべきか非常に頭を抱えている。

予定通り北海道は行くのなら、交通費は既に支払い済みだから出費は宿泊代と向こうでの食費と諸経費だけになるわけで、本来であればこのまま初志貫徹するべきであるということは分かっている。

ただ、やからと故郷が恋しくなっているのも事実である。

鹿児島に帰るとなれば、交通費は往復で50,000円ほど追加せねばならないけれど、実家に帰るわけだから滞在費というものは掛からない。

何より、実家に帰れば何物にも変えがたい心の安らぎを得られるわけだから、これは費用が幾ら掛かったとしても惜しくはないのだ。

そして最後の湘南漫遊。

いつもは1泊で蜻蛉返りをしているから、夏は1週間ぐらいゆっくり滞在して、心ゆくまで湘南の海を眺めていたいという欲望が現れてきた。

1週間も滞在していれば1日ぐらいは晴天の日に当たるだろうし、いつもは歩かない場所に行くこともできる。

鎌倉をゆっくり散歩したり、日が暮れ切るまで海辺に座っていたり、逗子や葉山のあたりをもう少し攻めてみたり。

海に飽きたら、高尾山あたりに登るのも良いし、山梨あたりで涼んでみるのも良い。

今のところ、この湘南漫遊が最も愉しそうではある。

休みもお金も有限であることが実に恨めしい。

スタイル


誰かと旅に出るということは殆どない。

私の旅のスタイルが、他人を帯同するには余りにも不適切であることがその原因だが、誰かをアテンドするとなれば話は別である。

そのような自体が惹起した場合、私は自分自身の旅を捨ててかからなければならないと思っているし、実際にそうしている。

いつものように10kmも20kmも歩くことはしないし、食事はお腹が極限に空くまで摂らないというようなこともしない。

なるべく歩かずに目的地に到着できるような交通手段を確保したり、適度な休憩や食事ができるように飲食店を事前にリサーチしたりする。

それはもう普段の私からすると考えられぬほどの涙ぐましい努力をやるわけで、とにかくゲストに喜んでもらえるようなプランを練りに練るのだ。

今回もし中国人と京都に行くことが実現するならば、私はまた全力でプランニングをしなければならない。

京都であれば目的地の選定は難しくないけれど、そこまでの交通手段や食事についてはよくよく考えなければ、人の多い京都を時間通りに回ることはできないだろう。

腕の見せ所である。

休息


昨日は愉しかったけれど、やはり疲れもした。

日焼けによる体力的な疲労もあったし、いくら相手が釣りという共通項のある人だったとしても、会社の先輩と長時間一緒にいたというのが私を消耗させた。

私はどこまでもひとりに適応した人間なのだ。

だから今日は、昨日誰かと四六時中過ごした私を労うためにとことん部屋でひとり過ごすことに決め、実際にそのようにした。

眠っているのか起きているのか分からない時間と、テレビを見たりスマートフォンをいじったりする時間を交互に過ごしつつ、たまにぱらぱらと本をめくったり、今週分のブログを書くともなく書いたりした。

昨日の充足した1日とは程遠い休日だが、こうやって部屋で寝転んでいれば余計なお金を使うこともないし、身体も精神も休めることが出来る。

当然、毎日こんな生活をしていては飽きてしまうだろうが、最近はこんな日が1日ぐらいなくては生きていけないように思っているのが正直なところで、これが加齢というやつだろうかと少し淋しくも思っている。

満喫


今日は職場の先輩と釣りに出掛けた。

朝の3時には家を出るという、私としては久しぶりの本格的釣行だった。

しかも今回は私の苦手な船釣り。

釣り方云々の話ではなく、単純に船酔いをするから。

そんな私がなぜのこのこと着いてゆく気になったのかは分からないが、結果としては非常に愉しい釣りだった。

釣りとしては特に特別なことをするわけではなく、アジやイワシ、キスといったビギナーでも狙える魚を釣るだけで何も真新しいことはないのだが、何も考えず青空の下で船に揺られていると、日頃の鬱憤が霧散してゆくのを感じた。

写真も私にとっては大切な趣味ではある。

ただ、あれをやる時はどうにも考えすぎるし、良いものが撮れたの撮れなかったと、単純に愉しかるべき趣味に成果を求めてしまう。

その点、釣りに関しては釣れたの釣れなかったの前に、自然に抱かれるという悦びを身体全体で感じることが出来るので、心からリフレッシュをした気持ちになれるのだ。

さらに今日は、釣った魚を先輩の家で料理して食べさせていただいて、本当に非の打ち所がない休日だった。

いつもこのようなら、嬉しいのだけれど。