叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

違和感


最近、YouTubeショートでみた腹立たしい動画について書く。

その動画は特攻隊員が書いたとする遺書を紹介する動画なのだが、内容が兎に角おかしい。

先ず、背景の画像になぜかAIで生成した画像が使われている。

そもそも、現実に起こった出来事を紹介する動画にAI画像を使う神経が理解出来ないし、もし利用するのなら正確な時代考証を行うべきだろう。

それなのに、妙なところに日の丸がついたおかしな飛行機や、訳のわからない軍服を着た人間のAI画像がどんどん登場するのだ。

さらに、最も重要な特攻隊員の遺書を微妙に書き換えて紹介している。

どこかで読んだことのある文章だと思って調べてみると、確かに似たような内容の遺書があるのだが、原文は文語体なのに口語体に書き換えてあったり、途中を端折ったりしているからどうも読んでいて気持ちの悪い文章になっているのだ。

読みやすくするために文語体を口語体に訳すのはまだ良いとしても、肝心の訳し方が下手くそで意味そのものが変わっているものもあるし、どこかを端折るのなら原文ママをどこかに載せておくべきだろう。

そして何より腹立たしいのは、こんなちんちくりんの動画に感動している連中がいることである。

この人たちは、さも彼らを理解したようなコメントをたくさん動画に残しているのだが、嘘っぱちの画像や下手くそな意訳をされた遺書の内容について、少しも違和感を抱かないのだろうか。

本当に彼らの真意を知ろうと思うのなら、AIに作らせた存在もしない人物が登場する動画に真っ先に違和感を持つべきだし、彼らが精魂を込めて記した遺書の原文に触れる努力をするべきだろう。

殆ど創作と言ってよいこんな動画に有り難がるぐらいなら、特攻隊のことなど知らぬ方がまだマシである。

あの戦争からたった80年しか経っていないのに、当時の日本人の感性を理解できる人間は払拭してしまったということに、私は暗澹とした気持ちになってしまった。