叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

侃侃諤諤


ひと月ほど前にInstagramを再開した時に、併せてThreadsも再開したのだが、存外これを眺めているのが面白い。

最近面白かったのは、ポートレートカメラマンは休日を費やして写真のレタッチを頑張っているのだから、モデルは撮影時に飲み物ぐらい奢ってはどうかという投稿に対するすったもんだ。

大部分のカメラマンは、所詮は好きでやっているポートレート撮影で、どれだけレタッチに時間が掛かろうがその見返りをモデルに求めるのはおかしいという意見。

私も大筋ではそれに賛成で、撮影をしている時にモデルに鐚一文払わせるつもりはないし、そもそもそういう条件で撮影をしているのだから、後からぐちぐち言うのはあまりよろしくないと考えている。

然し、である。

飲み物ぐらいは奢ってくれと言う投稿者の気持ちも、私にはほんの少しだけ理解出来るのだ。

自らが望んだこととはいえ、そう安くはない撮影料や交通費をモデルに支払い、さらに撮影中はモデルが疲れぬようにカフェで休憩をしたり、寒い日にはカイロを渡したりする。

そうやってお金を掛けて撮影した写真を、さらに一生懸命レタッチしてモデルに渡して、せめてそれをモデルが自身のSNSに投稿してくれれば、自分との撮影はモデルにとっても良いものだったのだと、カメラマンとしての満足感を得ることも出来るが、そういうことも一切なく、おざなりのお礼だけされて後は梨の礫では、自分のこれまでの苦労は一体何だったのだろうと落ち込む気持ちも、人情としては理解出来るではないか。

他人に善意を強要することは出来ないから、結局のところポートレートを続けたいならどこかで自分の気持ちに踏ん切りをつけるしかないわけだが、あまりにもみんながこの投稿者の言うことはけしからんと吠えているから、私は少しだけ可哀想になってこの文章を書いている。

いつかこの投稿者が、心から愉快だと思えるポートレート撮影が出来る日が来ると良いね。