英語を話せるようになりたいという願いはいつも頭の片隅にあったものの、それは精々宝くじが当たらないかな程度の感覚で、夢想という程度のものだった。
ただ、今職場にインド人が来ていて、その人は英語は出来るけれど余り日本語が話せないから、せめて多少なりとも話せればという思いを現実のものとして感じている。
これを機会と捉えて一念発起するのか、ただただそう思うだけなのか、私は残念ながら後者だったわけだが、たとえ英語が話せたとしても、私はそれを使って語るべき自分を持ち合わせていない。
難しく考える必要はないから世間話をすれば良いのだという人があるとすれば、それこそ私の最も苦手とする分野だからご遠慮願いたいというところである。
そもそも、他人に興味のない私が他者とコミニュケーションを広げる為のツールを獲得することは、自らの苦悩を拡大する自殺行為であるようにも思う。
そんな私が、そのインド人に鹿児島の郷土菓子であるげたんはを餞別として送った。
ふらわー、えっぐ、ぶらうんしゅがー、かごしまとらでぃしょなるすいーつ。
やはり少しぐらい、英語が話せれば良かった。