叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

良否


製造業の現場では、製品の良否判定を確実にするようにと耳にタコが出来るほど言われる。

人間のすることだから不良が発生することは咎めないが、それをしっかりと見抜けるようにしなさいということだ。

正直、これは慣れてしまえば特に難しいことではなく、ボルトが曲がっているとかネジ山が潰れているとか、一見すれば判断が出来るようになってくる。

とマァ、そんな話はどうでも良い。

こんな前置きをしてまで私が言いたかったのは、写真の良否判断が難しいという話である。

この前写真展を見に行ったとき、どの作品も良かったといえば良かったのだが、それは悪くはなかったという程度の良かったであって、刺激を受けたとか感銘を受けたとか、そういう感覚とは程遠い感想を持つことしか出来なかった。

SNSを見ていると大変クオリティの高い写真展だったと賛辞の嵐だったから、私は何かこう不感症のようなものなのかもしれない。

実を言うと写真以外の料理とかお酒とかについても私は似たような感覚を持っていて、世間が美味しいと誉めそやすものに対しては当然そう思うのだけれど、だからと言ってそれに突出した差異を感じるということがない。

極論すれば、何を見せても、何を食べさせても、何を飲ませても同じというのが私なのだ。

いつかは違いの分かる大人になりたいのだけれど、あまり突き詰めると生き辛くなりそうで、のんびり構えていられる今も倖せなのかもしれないと思ったりしている。