叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

夏風


四日市を朝の7時ごろに出る。

天気は良いけれど、雲量が多いから肌を刺すような陽射しは届かない。

それでも、歩けば当然大汗はかくから、途中で塩分タブレットと水を摂取して熱中症を予防する。

脚の動く限り、体力の続く限り歩き続けること、それだけを考えておれば良いというのは、何とも贅沢で、得難い時間である。

昼過ぎ、亀山でコメダ珈琲店に入って一息つく。

サンドイッチとポテトフライ、カフェオレでエネルギーを十分に補充する。

さぁ、これから、というところで、今日は当初の目的地の関宿より少し手前の亀山に宿を変更して、15時にはお終いにした。

関に到達するための体力は十分にあったけれど、そこで泊まる予定のゲストハウスに行くのが、どうしても嫌になってしまったのだ。

もう人間とは話をしたくなくなったし、ひとり一部屋を占有してのんびりと眠りたかった。

それでも、今日は30kmぐらい歩いたから、大幅な予定変更はせずに済んだ。

大体6時間歩いてこの距離だから、やはり時速にすると5kmというところか。

明日はこの倍歩けば良いということで、今のところ脚も大して痛くないので特に心配していない。

そういえば、道々のことを全く書いていないので、少しだけ書いておく。

旧東海道は、古来より幾千の先人が辿った道だから、良く整備されていて大変歩きやすい。

ただ、悪く言えば町中の散歩道と変わらないから、悪路を踏破するとか、壮大な風光を愛でるとか、そういう面白味には欠ける。

一里塚とか陣屋跡とかあるのだけれど、特に興味もないので立て看板だけ斜め読みして通り過ぎた。

ひとつだけ印象に残ったのは女人堤という場所。

立て看板を読めば、それは女性だけで造り上げた堤防であるらしい。

昔、たびたび水害に襲われていた村の女性200人が、実に6年の歳月を掛けて作り上げたということだ。

男どもは何をしていたのかというと、別に遊んでいた訳ではない。

実はそこの村の領主が、堤防を作ることによって、今度は自らの城下町が水に侵されることを恐れて、堤防を作ることを禁止していた。

作れば極刑に処すという強い態度だったから、最初は我慢していた村民だったけれど、度重なる水害に耐えかねて、遂に極刑を覚悟で堤防を作ることにしたが、そこで立ち上がったのが先の女性達である。

堤防を作ることによって村の男達が尽く極刑に処されてしまえば、今後の村落の運営に支障を来たすから、と。

当然、領主の命令に反いた女性達には極刑の沙汰が下るわけだが、良心ある家臣から諌められて、逆にお褒めの言葉を頂いた、というお話しだった。

その他は特にめぼしいものは無く、蝉の死骸とお寺の格言ばかりが目についた。

と、何とも薄い道中談で恐縮だが、ただただ歩くだけの私には感動を見つけるだけの余裕が無かったのだ。

明日は南草津に辿り着けるだろうか。