淋しい道程
今日は、冗長に、何を食べただとか、何処へ行っただとか、そういうことを書きたくない気分である。四万十川のほうまで出てきて、とても、乗り継ぎに時間がかかるものだから、ほとりの東屋で読書をしていた。
途中、みるみる空が暗くなってきて、大雨が降った。
風向きのせいで正面から雨が当たるので、体の向きを変えてふと上を見ると、東屋の屋根に足長蜂の巣があった。
私は1時間以上、彼らに気付くこともなく読書をしていたらしい。
この時点では、とても淋しかったのだ。
四万十川をくだる
そのあとは、四万十川をひたすらくだった。歩いたり、電車に乗ったりしながら。
ゲストハウスへ
今日の宿泊は、四万十川の辺りにある、かっぱバックパッカーズ。
ゲストハウスの良いところは、宿泊者との交流が出来ることだが、逆を言えばハズレてしまうと、ひとりで淋しく寝ることになる。
街の喧騒でもあれば、淋しさも少しは紛れるけれど、ここはそういうところでもない。
それで、ビクビクしながら、チェックインしたのだけれど、結論から言うと大当たりだった。
買ってきたビールと、振る舞いの清酒を飲みながら、スーパーで買ったぼそぼそのそばを食べるだけの夕食だったが、誰かと食べる食事は、本当に美味しかった。
明日はバーベキューをするらしい。
旅は淋しくてもよい
旅は愉快なことばかりでなく、ときどき思いもよらぬ方向に自分が飛んでゆく。
電車に乗りながら、とりとめもないことをずっと考えていた。
ひとりで生きる淋しさと、誰と生きる苦しさは、どちらが辛いだろうか、と。
私は今こうして、ひとりでなければ到底出来ないような旅をしているけれど、本当にこれでよいのだろうか、と。
大体、ひとりで考えることはネガティブな方向に向かってゆく。
だが、それでも良いと思う。
私のことなど誰も知らない土地へゆき、のんびりと思索しながら時間を過ごす。
思索する時間は、とても贅沢な時間である。
そうやって、結論なんで出しようもない人生のこれからについて思索して、そのまま贅沢に時間を浪費しながら、少しずつ死んでゆく。
これこそが、旅の醍醐味かもしれない。