やはり、ポートレートを撮るのは愉しい。
オジサンが綺麗な女性を撮って鼻の下を伸ばしているだけなのではないかとの指摘に対して、それを全面的に否定できないのは悲しいことだけれど、決してそれだけではない愉しさがあるいうこともまた事実である。
特に私の場合、誰彼構わず撮ることはせず特定の人を何回も撮り続けているから、撮影を重ねるごとにモデルとのコミニュケーションも深くなって、結果はともあれ撮影そのものを愉しいと感じるようになっているのだ。
そもそも、私からすれば美しい女性を撮ることは美しい花を撮ることと同義で、時々ポートレート界隈で発生するような男女のすったもんだに繋がるような感情をモデルに対して抱くことはないし、女性に対して美しさを感じるのは単純な男性の性というもので、これにいちいち理由をつける必要はないと思う。
ポートレートに対して作品性とか芸術性を云々する人の中には、女性ばかりではなく男性も撮れば良いという人もいるが、自分が美しいと思えないものを撮って何が面白いのだと私は声を大にして言いたい。
だから、いつか私がポートレートを撮らなくなる日が来るとすれば、それは私の中の男性的なところが全く枯れてしまったということになるのだろう。
それはそれで、悲しいことではないか。