叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

ポートレート


先日読んだ木村伊兵衛のエッセイ集、大部分は良く理解出来ずに目を通すだけなってしまったが、ポートレートについて書かれた部分については何度も読み返した。

特に気に入った部分を引用する。

前述の如く、写真が瞬間撮影に依って、人の自然な表情をとらえ、それがその人の性格の片鱗を表現し得ていた場合、その方法は他のいかなる造形美術も企て及ばない長所を写真は持っていると、私は信じている。

木村伊兵衛『僕とライカ


私の撮りたいポートレートはまさにこれなのだ。

ポートレートを撮るといえば、フォトグラファーの意図に合うような表情やポーズをモデルにやってもらってそれを撮るか、然もなくば私のようにただモデルとぶらぶらと街中を歩きながら、擬似的な友人関係の中で時折見える表情を撮るということが多い。

前者は写真作品としての価値はあるかもしれないが私の性に合わないし、後者はモデルとフォトグラファーという関係の中でそれを撮る必要性を感じない。

そもそも、モデルをモデルとして雇っている時点で自然な表情もへったくれもない訳で、私としてはそれを生業としていない人が心から喜んでいたり寛いでいたりする姿や、時には物思いに耽る姿を撮りたいのだ。

その為には、それを撮ってほしいと思っている人を見つけなければならないのだが、おいそれと見つかるはずもなく、最近またInstagramを始めてみた。

良い出会いを、私から見つけにゆかねばならない。