叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

意味


基本的には大好きなポートレート撮影を何故か急にやめたくなる時があって、この感情はどうも私如きのポートレートにわざわざモデルを使う必要があるのかという疑念から生まれてきている気がしている。

ポートレートを撮るにあたっては、特にテーマやメッセージ性にこだわっているわけでもなく、適当に散歩しながら撮っているだけで、それなら何もお金を払ってまでモデルを雇う必要はないのではないかという訳だ。

勿論、ひとつとしてこだわりを持たないで撮影に臨むということはなく、撮影場所は私が好きな街が良いし、季節や天候も疎かにはしていない。

ただ、その要素さえ満たしていればモデルに対してあれこれと要求するつもりはなく、撮影を通じてよりその街を私の記憶に刻むことが出来れば良いと考えている。

その点で言えば、先週末のポートレート撮影は交通費ぐらいは出したものの殆ど無償の形で撮らせてもらって、実に気楽に撮影そのものを心から愉しむことが出来たように思う。

本職のモデルを撮った訳ではないから、高度なポージングや取り澄ました表情をお願いすることは出来なかったけれど、私の写真にそのような要素は不要だし、私の好きな街を散歩しながら笑顔の多い時間を過ごしたのだから写真にはそれが写っていれば良いのだ。

今回の撮影を経て、私の撮りたいポートレートに本職のモデルが必要であるかどうかという点については一定の結論が出たようで、これまでのやり方とは多少疎遠になりそうな気はしている。