とある漫画の登場人物が、
花を咲かせることもめでることもできる
でも花に「自分を分かってほしい」
なんて思わないだろ
という発言をしていた。
周囲とはあまりにも隔絶した強さを持って生まれてしまったが故に、信頼する友人や仲間に対してさえも、生物としての一線を引かざるを得なかったその人の孤独とか悲哀とかを実に上手く表現した台詞だと思うのだが、これはポートレートにおけるフォトグラファーと被写体の関係性にも当て嵌まるような気がしている。
というより、花に自分を分かってほしいと思うようになってしまったフォトグラファーは、そっとポートレートをやめるべきだと思うのだ。
被写体に対して、写真に写ってもらうこと以上の何かを望むことはタブーであり、もしそれを望むのなら一度カメラは手放すぐらいの覚悟を決めて掛からなければならない。
それがフォトグラファーとしてのけじめであると思うし、そのあたりを有耶無耶にしてしまうから不幸になる人たちが後を絶たないのだ。
勿論、フォトグラファーと被写体の信頼関係の中から生まれてくる作品があることは承知しているつもりだし、人間同士のことだからその関係性が友人や恋人というものに発展してゆくことを否定はしないけれど、基本的には両者の生き方が交わることはないし、互いがそれを望むべきではないと思う。
ただ、このような固い考え方しか出来ぬことが私のポートレートにおける限界のような気もしていて、一線を越えることの効用を思わぬでもない。
それにしても、相手が本当の花だったならこんなに思い悩むこともないだろうに、人間が絡むとどうにも難しくなるようだ。