叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

激震


盗撮罪と云うものが新設されるらしい。


これまでは、各都道府県が定める条例等によって取り締まりを受けていた盗撮と云う犯罪に、愈々刑法上の明確な根拠が与えられる訳だ。

私は、処罰対象に記載されているような卑劣な盗撮は排除されるべきだと考えているから、盗撮罪の新設には賛成である。

ただ、盗撮罪の正しい内容が理解されず、その名前だけがひとり歩きしてしまった場合、写真を撮る人間、特に人に向けてシャッターを切るタイプの人間に対する目が、今よりも厳しくなってしまう気もしていて、その点は少し心配している。

それでなくても、街中で写真を撮る人間は肖像権云々の問題にいつ火が着くのか戦々恐々としているし、少なくとも私は、無許可で他人を撮って自分の作品としてSNSに掲載していることに、多少の後ろめたさを感じているのだ。

盗撮罪の新設によって、公共の場所での写真撮影についての議論が起こる事は非常に良い、けれど、それが変に捻じ曲がって、これからは公共の場所に於いて、如何なる姿態であっても、本人の許可なくそれを撮影したり、SNSに掲載したりすることは不可とすると云うような法律が出来てしまえば、私は殆ど写真を撮ることが出来なくなってしまう。

スマートフォンで写真を撮ることが日常になった今、写り込みすらも取り締まらねばならぬような法律は現実的ではないと、高を括りたい気持ちもあるのだが、写真のメインの被写体が人物と認められればNGとか、撮影に使用する機材に制限がかかるとか、そんな息苦しい未来を想望しないでもない。

盗撮罪が新設されても、私自身の撮影のスタンスを変えるつもりはないけれど、これだけ世の中が目紛しく変わってゆけば、私が撮る写真がいつか盗撮という範疇に含まれる日が来るかもしれない。

そんな日が来ることのないように、写真を撮る人間としては常に自省し続けなれければならないし、世の中の流れや価値観の変遷について敏感になり、自らをアップデートしてゆく必要があるように思う。