叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

愉快


走ることが、愉しくなってきている。

6月あたりからぼちぼち走り始めて、相変わらずペースは1km6分のゆっくりとしたものではあるが、走ると気分がすっきりするし、体重も少しずつ落ちて来ているし、良いことづくめである。

体重の減少については、お菓子を食わぬとか、炭水化物を減らすとか、若干の食事制限もやっているからそのお陰もあるのだが、要は消費カロリーが摂取カロリーを上回れば良い訳で、ジョギングが役に立っていることは疑いようも無い。

それよりも愉快なのが、自らの脚でどんどん遠くまで行けるということを、徒歩より強く実感出来ることだ。

徒歩では1時間に5kmしか進めないが、走れば10kmも進める訳で、10時間走り続ける体力さえ持っていれば、1日で京都まで行ける計算になる。

100kmのウルトラマラソンの完走タイムが12時間程度ということを考えれば、強ち無理な話でも無いだろう。

夏の京都行で得た100kmという距離の実感と、それを12時間程度で走破する人間がいるという驚きと、私も鍛えればその領域に到達出来るかもしれないという予感と、それをやってみたいとすら考えている空恐ろしさと。

軽い気持ちで始めたジョギングが、ここまで様々な感情を呼び覚ましてくれるとは思っていなかったので、自分で自分が可笑しくなってしまった。

もしこの感情に始末をつけられなかったとしても、やっていて悪いことではないのだから、ぼちぼち続けてゆこうとは思うけれど、ジョギングにおけるひとつの心の動きとして書き記した。