叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

読書


梅棹忠夫の女と文明という本を読んだ。

妻無用論から始まって、家事整理学言論、女性の社会進出にまで言及された本である。

専業主婦という言葉が、夫の収入ではひとつの家庭を支え切れなくなっているという、実に切実な理由から死語になりつつある昨今の現状を全く違う要因からこの本は予見している。

先ず著者は、家事は極力簡略化せよ、そして完璧を求めるなと主張する。

家事における労働の多くは、多くの部分で自動化され、外注することも容易になっているのだから、それを大いに活用して家事の時間を削減するべきだし、やれば尚良いけれど、やらなくても良いようなことはどんどん手を抜いて止めてしまえば良いと言う。

料理はスーパーのお惣菜でも良いし、食器を洗うのが面倒であれば使い捨てのものを使えば良い、掃除も適当で良いし、ハウスキーパーを雇っても良いのだ。

そうして、女性が家事労働に割く時間が減らすことが出来れば必然的に余剰エネルギーが生じ、そのエネルギーを社会的な生産活動に回すことが出来る。

今後はますます情報化社会が進むだらうから、男性に有利な筋肉や体力を必要とする工業的な労働が減り、知力や感性を必要とする労働が増えてゆくわけで、女性の活躍出来る場所もどんどん増えるはずである。

情報産業に携わる場合、男女の能力の差は殆ど無く、そうなれば男性と女性の社会的な同質化現象が進み、次第に専業主婦という、家庭内でしか通用しないようなせせこましい存在は消えてしまうとまで著者は述べている。

本当の意味でこのような世界を実現する為には、著者が主張するところの、家事の少ない家庭こそが文化的に進歩している家庭だという意識を男女が共有する必要があるし、女性の社会進出を阻む社会的、心理的な障壁はますます取り除かれねばならない。

その前途はまだまだ多難なものになるだろうが、その現実の世知辛さは一度埒外に置いて、私がもし結婚したいと思う女性が現れたら、この本を一読してもらって感想を語り合いたいと思った。

これから2人で築いてゆく家庭について、表面的な理想の家庭論を数百度戦わせるよりも、より本質的な議論が出来そうな気がする。

それにしても、家事の手抜きを推奨する話から女性の社会進出や今後の世界の社会構造にまで話を波及させてしまうのだから、学者というのは本当に凄いと思う。

久しぶりに、面白い本に出会った。