叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

リスク


リスクの可視化という点で、やはりコロナ感染者数は全数把握を前提にした方が良いのではないかと思っている。

長いコロナ禍での生活に慣れ切ってしまった我々は、自らの行動を決定するにあたって、かなりの部分で、毎日のように報告される感染者数を参考にしてきた。

それがいきなり、感染者が増えてるのか、減っているのかすら分からない状態に置かれてしまうと、身動きが取れなくなってしまうのではないだろうか。

全数把握を止めたからといって、日本の国民がコロナ前の生活を思い出して、コロナの恐怖を無かったかのように振る舞えるとは思えないのだ。

感染してもいちいち隔離なんてしませんし、薬を飲めば概ね治りますから、普通の風邪と考えていただいても構いませんと言ってくれるのであればまだしも、ワクチンはまだ打たねばならぬようだし、後遺症が恐ろしいという報道も止まない。

国には、もう2年以上頑張ったのだから、あと少し踏ん張ってもらいたかったと思うし、その為の準備を、平時からしていてもらいたかった。

もうコロナ感染者の全数把握を諦めるというのなら、PCR検査を受ける人は減るだろうし、無症状の感染者が出歩くことを止めることも出来ない。

国としては、症状が出ていて病院に掛かる必要がある人に対してのみ、必要な援助を適宜行ってゆくというスタンスになるのだろうか。

今回の件は、国が何の根拠もなしにコロナ対策を投げ出してしまったような気がしてならない。