叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

倖せ


連休前にコロナにかかった友人は、寮生でありながら恋人の家で静養していたらしい。

職場での評価は散々な彼だが、この3年の間に彼女を作って、半同棲のような状況まで持ってゆく行動力には素直に頭が下がる。

私には、30年掛けても出来なかったことだ。

多くの人間とそれなりに付き合って、嫌われもしないが特に好かれもしない私のような人間よりは、たった1人でも良いから自分を理解してくれる人を見つける能力がある彼の方が、長い目で見れば倖せになれるのではないだろうか。

職場の人間や友人たちとはいずれ離れてしまうのだし、何か重大な出来事が起こった時に、いちいち助けてくれるはずもなければ、その義務もない。

そう考えれば、幾ら仮初の人間関係をあちこちで築いたとしても、いざという時には役に立たぬ訳で、広く浅くよりも狭く深くの方が倖せな人生を送れそうな気がしてくる。

かと言って、今更方向転換が出来るわけでもなく、私にとってのこれからの人生はどんどん隘路に突き進んでいくような気がして、嫌になってしまう。

どこで、誤ったのだろうね。