安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した。
良くも悪くも歴史に残る1日になるだろう。
人ひとりが亡くなったことについては大変悲しいことであり、心から哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りする。
だが、政治家という立場にある人間は、彼の死を悼むばかりではなく、この事件を頂門の一針として、益々を身を引き締めて政治に取り組んで欲しい。
テロリズムや暴力をただ批判するだけではなく、犯人がこのような行為に至った背景を精査するとともに、実行には移さなくても、政治に対して忸怩たる思いを抱いている人間がいることに思いを致して欲しい。
実際のところ今の日本には、手段さえ得られればこのような行動に走り得る人間がそれなりの数いると思う。
長引く不況やコロナ禍に直面して、口では国難国難と唱えながら、一向にやる気のない政治家を見て絶望し、抜き差しならぬこの状況を暴力によって打破しようとする人たちがいてもおかしくない世相なのだ。
暴力に屈しないとか、蛮行を非難するとか、それは大いに結構だけれど、それしか手段を持たない市民のことを置き去りにすれば、またこの様な事件は起こるだろう。
今回の事件の犯人は非難されるべきだが、政治家が自らの襟を正さずにいて良い理由にはならない。
これからの政治を注視してゆきたい。