叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

責任


安倍さんの件、結局は宗教絡みの私怨が引き起こした事件として処理されそうである。

そうであるならば、そのようにして貰えば良い。

ただ、今回の事件の後、民主主義を守り抜くとか、暴力には屈しないとか宣っていた政治家先生達には、あなた方にそれを口にする資格があるのか、今一度考えてみて欲しい。

一度は国の為、地域の為に頑張ると志し、そのように有権者に訴えて政治家になったはずの人達が、一方では有権者のことなど眼中にないような振る舞いをする。

あの時の言葉は、涙は一体何だったのかと、人間不信になりそうな程の転落ぶりを見せてくれる人もいる。

一般庶民は、選挙によって選ばれた政治家に自らの声を代弁してもらうしかないのに、当の政治家たちが明後日の方向を向いて政治をしていては、民主主義に対しての信頼が失われてゆくのも同然だろう。

自らの声が反映されない絶望的な状況の中で、ただ政治家を排除したい一心で暴力を行使する人間がいたとして、それを一体誰が責められようか。

そのような人たちがいつ現れてもおかしくないほどに、今の政治家は弛んでいると、私は思う。

民主主義を賛美することは結構だけれど、民衆の声を拾い上げて形にする優秀な政治家の存在がなければ、全ては画餅に帰すということを、政治家先生達には今一度考えてみて欲しい。

これ程の事件があって尚、下らない汚職や不祥事に手を染める政治家が現れるようなら、それを排除する為の暴力も已む無しと考える庶民が出て来るであろうことも。