叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

可視化


祖母が余命宣告を受けたらしい。

具体的なことはまだ聞いていないけれど、余命という言葉の響きに吃驚してしまう。

人間は必ず死ぬけれど、余命宣告という形で残りの時間を可視化させられるのは如何にも悲しい。

どんなに考えないようにしても、命の期限を時間という尺度で計算してしまうだろうから。

あの花がまた咲く頃には、私の精神も肉体もこの世から消えているということを想像する時、どのような感情が胸に去来するのだろうか。

こればかりは言われた本人にしか分からない。

会えるかどうか分からないけれど、暇を見つけて鹿児島に帰ろう。

葬式に出るよりは、生きているうちに顔を見せる方が良いに決まっている。

それにしても、私ばかりがまだ子どものような気がしていて、親しい人はどんどん歳を取ってゆく。

こんなことになるから、親しい人間とか、依存し合うような人間とかを、自分の周りに作りたくないのだ。

一利を興すは一害を除くに如かずというではないか。