叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

撤退


フィルムカメラから、撤退すると思う。

いや、わざわざ日記に書いたということは、遠からず撤退する。

両刀使いも考えたが、私の性格からして機材を使いこなせない。

撤退の最たる原因は、ランニングコストの増大が頭にこびり付いて離れないこと。

スナップだけを撮るのなら大した枚数にはならないのだが、ポートレートを撮るとやはり枚数を撮るから、撮れば撮るほど現像代が嵩む。

現像代がちらついて、撮りたいと思ったものに対して即座にシャッターを切れないのは、精神衛生上よろしくない。

何の為にカメラを持っているのかが分からなくなる。

今後、フィルムの価格もどんどん上がるだろうし、現像代も値上がりするであろうことを考えると、苦痛を感じながら写真を撮るよりも、早いうちに撤退した方が良いと考えた。

あとはクラシックカメラ特有の不安定さが、どうしても私には合わなかったということもある。
 
完調の個体というのはないに等しく、ボディの傷は許容するとしても、ダイヤルやレバーが変に固かったり、露出が不安定だったりと、フィルムカメラで撮るにあたって多くの人が許容しているであろうことが、私には出来なかった。

100年近く前のカメラで写真を撮る浪漫や、フィルムにしか出せない色味があることを考えれば、フィルムをやめるのは非常に惜しいけれど、一度心が離れ始めてしまってはどうしようもない。

ただ、フィルムカメラを始めたことについては後悔しておらず、大変良い勉強をさせてもらったと思う。

露出の基本に始まり、ボケに頼り過ぎない写真表現や陰影の出し方など、まだまだ勉強中の身ではあるけれど、少なくとも撮る時に考えるようにはなった。

そして、そういうことに拘りたくなるほどに、心置きなく写真を撮りたいながらトライアンドエラーをやりたいという思いが強くなったし、写真のレタッチもやりたいと考えるようになった。

フィルムという媒体はこれが容易には出来ないから、物凄くもどかしいのだ。

これは写真に対して欲が出てきたともいえるわけだから、カメラそのものをやめるなんてつもりは毛頭なく、次は中古のM10あたりを買ってやろうと思っている。

つまり、前向きな撤退なのである。

ただひとつだけ私にミスがあるとすれば、フィルムカメラを始めたことではなく、ライカを使ってしまったことだろう。

フィルムだろうがデジタルだろうが、ライカからは離れがたくなってしまった。

あのステルス性、軽快さ、重厚さは、他のカメラでは味わうことが出来ないから、どうしてもライカ以外の選択肢が出てこなくなってしまっている。

この点については、多少後悔している。