ふと、彼岸花の姿を写真に撮ろうと足を踏み出したとき、まだ咲いていない彼岸花が足元にあることに気付きました。
アスパラガスのような目立たない茎の先端に、まだ咲いていない、ちいさな赤が見えたのです。
咲いている花ばかりに目を奪われて、これから咲くはずの花の命を奪ってしまうところでした。
そういう情景の中で、ふと思いついた自由律俳句です。
人間も、どこかそんなところがある。
派手な花を咲かせている人、その一歩手前の人、小さな花を咲かせている人、ただただ雑草のように生きている人。
それが良いとか悪いとか、どうこう云うつもりはないのですよ。
今回の正直な思いつきを、派手な人に注目が集まることへのルサンチマンとか、みんな違ってみんな良いという教訓的な示唆とか、小難しい話にするともう面倒になります。
ただ、そういう情景に出会して、ふと考えたことを言葉にしたと云うだけ。
俳句とは、そういうものであると、私は思っているのです。