実に不思議な京都での旅である。
道連れは同僚の中国人で、この人は中国語しか話せないから翻訳アプリと首っ引きでひたすら京都市内を観光した。
いつもは1人でうろうろするだけの京都だが、案内をするとなればそれなりに思いやりを持たねばならないと思って、徒歩の時間がなるべく少なくなるように、休憩を適宜取れるようにしながら、嵐山から天龍寺、竹林の小径、そして金閣寺、瑠璃光院を回った。
自画自賛するわけではないが、オーバーツーリズムと言われて久しい京都を計画通りに回り得て、えもいわれぬ充足感に浸っている。
そもそも旅というものは、予定を詰め過ぎると融通が効かなくなるし、然りとて全くの無計画ではどこか間延びしてしまうから、その辺りの緩急を上手くつけてやる必要があるのだが、観光地での滞在時間や移動時間を考慮しながら、それを自然と出来るようなったのは、今までの積み重ねがあったからだという他ない。
また京都に連れて行ってくれという人があれば、私は喜び勇んでお供をするつもりなのだが、当分その予定はない。
本当に悲しいことだと思うよ。