叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

贖罪

ポートレートでもやらなければ人間と話すことがないのだと、そうでもしなければ淋しくて堪らないのだと、昨日書いてみて今更ながら愕然としている。

私がポートレートを撮る理由は、人間とコミニュケーションを取りたいからだということが、これではっきりした訳だ。

写真を撮らせてくれと依頼する以上写真はきっちり撮るし、SNSで必要以上に絡むこともないし、下心なんて当然無い。

昨日の写真より、今日の写真が良くあれと願う向上心が全く無い訳でも無い。

それでも、やはり動機が不純だと言われれば強く反論も出来ないけれど、あまり反論するつもりもないのだ。

縁もゆかりもない土地にやって来て、居酒屋へ行くぐらいしかやることのなかった私が、ポートレートを始めたお陰で、新しいご縁を頂いたり、ひとりでは興味すら持たなかったであろう場所へ行ったりすることが出来た。

他にこういう趣味があるだろうか。

今後、私がどこに流れて行ってしまったとしても、カメラとSNSさえ続けていれば、写真を通して、また人と繋がることが出来る。

被写体の方々には、若干の後ろめたさも感じながらも、やはり私は、これでゆくしかないのだと、改めて思うのである。