叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

リアルポートレート


近頃は、来年の今頃のことを想って行動している。


つまりは、来年の今頃は三重にいない私が、その時になって懐かしく思い出せるような想い出を、幾つか残しておきたいと思って行動している。


マァ、その時まで生きていることが前提ではあるが。


今日は、リアルポートレート名古屋という、ポートレートの写真展に行った。


私は当然出展していないが、撮らせていただいたモデルさんを始め、関係者のTwitterが大変盛り上がっているので、来年も開催されれば、またタイムラインが賑わうことだろう。


私はそれを、何処で眺めることになるかな、という密かな愉しみである。


展示そのものは、系統も毛色もいろいろと異なっていて、非常に愉快に鑑賞させていただいた。


惜しむらくは、その素晴らしさを表現する術を、私が持っていない。


展示をして、多くの人に見てもらいたいという作品である以上、その写真には多くのこだわりが詰まっているのだろう。


写真を撮る場所や時間、モデルの表情、衣装、そして、撮影後の編集、展示に使用する印画紙、額装の全てにおいて、撮影者とモデルの意思のもとに決定され、試行錯誤されたものが展示されていたはずだ。


そういうものを見て、少しでも心が動かされて、自分も何か表現してみたいと思えるのならば、私の写真もモノになるかもしれないが、そのあたりはさっぱりである。


私は昔から、藝術というもの、写真にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、何かを創造するということがとても苦手で、そういうことが出来る人に対して凄まじいほどの劣等感を持っている。


そんなことだから、デートカメラマンだと、自らを卑下して歩かなければならないのだ。


たかだか趣味の世界でこんなに思い詰める必要もないのだけれど、たかだか趣味の世界にここまでのめり込むことが出来る人たちを、単純に羨ましいと思った、そんな一日だった。