叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

飲んかたと申すは


鹿児島弁で、飲み会のことを飲んかたという。


飲んかたは、余程親しい人たちとやるのではなければ、全て仕事だと思っている。


以前の職場は仕事の飲んかたが多く、忘新年会の時期は毎日のように取引先と飲んかたをしていた。


飲んかたばかりの日々に、今の若者なら発狂してしまうかもしれないが、私はあまり苦痛に思わなかったし、むしろタダ飯タダ酒がやれるので好きだった。


というのも、鹿児島のおせんしは、飲んかた代を後輩に出させることがない。


少なくとも、私の職場のおせんしはそうだった。


場所と予算さえ伝えておけば、費用の段取りは全てつけてくれたし、2次会以降はおせんしが馴染みの、綺麗なおねいさんが居る店に連れて行ってくれた。


そのお金がどこから出ていたのか、あまり考えたくないけれど、今はもう昔の話で、愉快な記憶ばかりが残っている。


期間工になってからは、コロナの影響もあって殆ど飲んかたはしていないが、それゆえにたまにあると物凄く面倒だし、おせんしと呼ばれる人との飲んかたではないから、費用も全て割り勘、自分持ちになっている。


さて、明日の私はどんな顔をしているか、とても愉しみだ。