旅は簡素であらねばならない。
特に京都のような観光地に行く場合、あれこれ予定を詰め込まなければ惜しい気がするけれど、あそこへ行こう、なにを食べよう、どこで遊ぼうなど、やりたいことをあれこれ考えても、最終的にはそれを消化するだけが目的になってしまって、ひとつの物事をじっくり愉しむ余裕を失ってしまう。
同行がいればそれもまた愉しいのかもしれないが、私のようなひとりがそれをやれば、ただただ疲れたという記憶が残るだけだ。
というわけで今回の京都行は、写真展を見に行く、菜格で中国料理を食べるという、たったふたつの目的に絞った。
ただ、その目的を果たす前に、恒例の新福菜館でラーメンと麦酒に舌鼓を打ったのは内緒である。
写真展については、Instagramで知り合った人がフィルム写真に限定したグループ展をやるということで、前々から愉しみにしていた。
他人の写真を見ても感想という感想は持たない私ではあるけれど、同族の人たちが写真を撮っている写真に触れるのはとりあえず愉快だ。
菜格は3月に友人と訪れて火鍋を食べた時以来だったから、思えば随分と無沙汰をしてしまったものだけれど、鶏肉の山椒唐辛子炒めを、ひいひい言いながら紹興酒で流し込むのが相変わらず美味しかった。
それ以外は特に何をすることもなく、余人から見ればわざわざ京都まで何をしに行ったのか奇異に思われそうだが、写真を撮ることしか能がない私にはこういう旅が合っているのだ。
もう一度言う、旅は簡素であらねばならない。