叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

反射と思考


写真を撮る愉しさというのは、反射と思考の融合にあると考えている。

これは、私が好きなアニメのセリフからインスピレーションを得た考え方だが、先ずはそのセリフを紹介する。

脳量子波で得た超反射能力、だがてめぇはその速度域に思考が追いついてねんだよ!
動物みてぇに本能で動いてるだけだ!
だから動きも読まれる。
反射と思考の融合…それこそが超兵のあるべき姿だ!


そして、これを私流に改変するとこうなる。


最新機種で得た超高性能、だがてめぇはその速度域に思考が追いついてねんだよ!
動物みてぇに本能で撮ってるだけだ!
だからカメラに撮らされる。
反射と思考の融合…それこそが撮影のあるべき姿だ!


今の時代、撮りたいと思ったものにカメラを向けてシャッターを切ればそれなりの写真が誰にでも撮れるわけだが、それ故に撮影そのものが反射的に行われ過ぎているような気がする。

オートフォーカスは早くて正確だし、露出の調整もカメラがやってくれるし、人間があえて思考してカメラを操作しなくてもまともな写真が撮れるようになっているのだ。

ただ、それが面白くないという私のような人間が一定数いるのもまた事実で、そういう人たちはカメラに頼り切って撮影することを潔しとしないし、撮影結果だけが写真の愉しさだとも思っていない。

例えば私が使っているライカのII型などは、周囲の明るさを見て絞りとシャッタースピードを適正な数値に調整しなければならないし、フォーカスもマニュアルで合わせなければまともな写真は撮れない。

つまり、シャッターを切る前に色々と考え事をしなければならないわけで、わざわざ面倒なことをしていると思う人もいるかもしれないが、このひと手間をかければこそカメラを操って写真を撮ったという満足感を得られるのであり、それが写真を撮る愉しさのひとつにもなっている。

だから、よい光、よい造形、よい人物などの被写体に反射的に反応すること、それをまともに写すために思考しカメラを操作することは、私の中ではどちらも写真を愉快だと思うための欠かせない要素であり、このふたつのどちらかが欠ければ写真を愉しいとは思えなくな

撮影者とはとことん難儀な人間なのである。