叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

親不孝


この前結婚式に出て、もはや結婚のいうものに対して羨望の気持ちすら抱けぬことに気づいて、少し驚いている。

少し前は、全くの他人同士だった2人が、その親類縁者を巻き込んで家族となり、人生を共に歩もうとするその勇気に感動し、いずれ私もそのような決断をせねばならぬ日が来るだろうと夢想していた。

だが今は、私のような人間が、今更誰かと人生を連れ添おうなどとは全く片腹が痛くなるような話だとしか思えず、一筋の光でさえ見えてはいない。

そのこと自体は、私の決断であるから誰かに対して負い目を感じてはいないのだが、ひとつだけ心残りがあるとすれば、せめて私の結婚式の場で、両親に涙のひとつも流させてやりたかったと思う。

我が家は、誤解を恐れずに言えば、ごくごくありふれた普通の家庭で、あえて家庭の問題をあげるとすれば、私を含めた兄弟3人が学生時代に人生の挫折のようなものを味わったぐらいで、それ以外は何の問題もなく過ごしてきた。

それなのに、兄弟3人が尽く社会不適合者のようなものになってしまったのは、一体どのような理由からなのであろうか。

望んでも手に入らぬことは確かに不幸であるが、もはやその慾っする心すら失われてしまうことも、またひとつの不幸である。

全く、申し訳ないね。