叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

ジレンマ


写真に無駄撃ちなどという言葉はないのかもしれないが、フィルムを使用する都合上、似たような写真を量産したくないし、ありふれた写真は成る可く撮りたくないという思いがある。

今を盛りと咲き誇る桜については、シャッターを切る指がどうしても軽やかになりがちな被写体の筆頭だから、特に警戒を要する。

晴天の下どこまでも続く桜の並木とか、雨露に濡れて妖しく光る桜の花のアップとか、写真を撮る人ならシャッターを切らずにはいられない光景を目の当たりにしながらそれをみすみす見逃すという行為には、実は強い自制心が必要なのだ。

そんな辛い状況の中、昨日は熊本の市房ダムに桜を見に行った。

昨日は少し天気が悪かったが、市房ダムを取り囲むようにぐるりと植えられている桜は殆ど満開で、実に素晴らしい光景だった。

今撮らずしていつ撮るのだと、フォトグラファーとしての私は心の中で叫んでいるのに、無情に繰り上がってゆくフィルムカウンターの数字を見る生活者としての私は、シャッターを切る人差し指にブレーキをかける。

撮りたい、撮れないのジレンマは、フィルムカメラなどというものに嵌まらなければ感じなかった筈のもので、こんな時は心からデジタルカメラが羨ましく思えるのだが、これに耐えることも含めて、フィルムカメラを扱うということなのだろう。

実に苦しい季節がもう少し続く。