形容のし難い、愉快な交流の後味を噛み締めながら、小豆島を離れる。
写真というものを媒介にせねば生み出せぬ交流で、そのことについては多少の後ろめたさはあるものの、お互いがきちんと選択した上での交流だから、特段問題はないだろう。
最近は人付き合いにおいて、何事も尽く順当であれ、快適であれという願望がなくなっていて、多少のしくじりも緊張も、それが人との交流によってしか産み出されない心の動きであるならば、それを実感出来ることに対して寧ろ有難いという気持ちすら抱くようになった。
ついでに、私との交流によって相手が何を感じるかについても殆ど省みることをしなくなって、実に自分勝手な人生を送るようになっている。
もちろん、私の立ち振舞いが円熟の域に達して、全ての人に対して不快の念を抱かせることが無くなったわけではなく、ただ会う人会う人が今後も繋がりを持ち続けるような人ではなくなったという、少し淋しい理由だ。
どちらにしても人間は変わってゆくようで、昔よりは肩の力を抜いて、多少の困難は寧ろ好ましいものとして受け入れつつ、愉しむ余裕が出てきた気がする。
最後に、ひとつの出会いをきっかけにして、取り止めのないことを延々と考え続けることが出来るのも、旅の醍醐味だと私は思っている。