M-Aを購入した際に、バルナックは売却していた。
それを今回、また買い戻した。
スナップ写真への欲望が沸々と湧いてきていること、M-Aにすら少し大きすぎるという感情を抱いてしまったことが、大体の理由である。
以前のバルナックはⅢbだったが、今回はさらに時代を遡ってDⅡというモデルを購入した。
ブラックペイントのボディが、惚れ惚れするほどに美しい。
このDⅡは、レンジファインダーを初めて筐体の中に内蔵した、今に繋がるM型ライカの原型ともいえるモデルである。
Ⅲbを使っていた時に使い辛さを感じていた、距離計用の窓と構図決め用の窓が別々になっていることについては今回のDⅡも同じだが、Ⅲbでは隣接していた窓同士が、DⅡでは完全に離れてしまっていて、どうせ別々ならそのほうが分かり易くて良い。
レンズも、今持っているズミクロンは使えないから、エルマーのノンコートを新調した。
エルマーに始まりエルマーに終わると言われる、ライカの名玉。
そんなエルマーだから、写りについてはあまり心配していないが、特筆すべきはその小ささである。
これは、カメラに取り付けて沈胴させると、本当に小さくなる。
厚みと重さこそスマートフォンの3倍は優に超えてしまうが、縦横の大きさは寧ろ小さいぐらいで、少し大き目のポケットにならすっぽりと入ってしまう。
だから、鞄をもう一回りも二回りも小さく出来る。
そして、驚くべきはこのカメラとレンズの生まれ年である。
シリアルを調べてみると、ボディは1932年の製造、レンズは1938年で製造である。
どちらも80年以上の歳月を経て、私の手元にやってきてくれた。
今のデジタルカメラが、例え物体として80年以上の保存に耐え得たとしても、写真を撮る機械として使い続けられるとは到底思えない。
カメラというものは、レンズを取り付けて、フィルムを装填し、シャッターを切ってフィルムに感光させる、ただそれだけの為に存在するものだということを、静かに、雄弁に語ってくれるようは佇まいを、このDⅡは持っている。
DⅡを手にすると、あれほど洗練されていると思っていたM型ですら、多少贅肉が多い気がしてくるから不思議だ。
さて、ここまで激賞していて、まだ試写すらしていないのだから、写真を撮る為の機械としての評価はまだ出来ないのだけれど、手にしただけでこれほど気持ちの昂りを感じるこのカメラが、悪かろうはずもない。
もし調子の悪いところがあれば、修理して貰えばいいのだ。
このカメラだって、全てが順風満帆な80年の歳月を過ごしてきたわけではないだろうから。
今週は必ず試写へ出掛けよう。