叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

ゆくとし

今日は、始発の電車に乗ることが出来た。


熊本から八代へ、八代から川内へ、川内から鹿児島市へ。


川内では、一時帰宅していた祖母に、5分だけ会ってきた。


今回の一時帰宅がどのような意味を持っているのか、少し穿った見方をすると恐ろしく思わぬでもない。


会うと、泣かれる。


ずっと、昔話をされる。


いつまで経っても、30歳になっても私は孫で、心配で堪らない、可愛くて堪らない存在であるらしい。


コロナを、万が一移してしまうことも考えぬではなかったし、軽挙だと批判されてしまう行為だったかも知れない。


けれど、一目でも、現実に会えたことは、祖母にとっては力になっただろうし、私にとっては多少自分を大切にしようと思う契機になった。


その後は、鹿児島市内で、前の勤務先の人と会ったり、街をうろうろしたりした。


街の様子は、ぼちぼち変わっているけれど、1年帰らないぐらいでは、そう驚くほどのものでもない。


それよりも桜島の大きさの方が気になった。


あんなに、大きかっただろうか。