叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

反動


愉快な旅の反動なのだろうか、時々途方もない淋しさを感じることがある。

ひとりで旅をして、写真を撮って、お酒を飲んだ時には、この淋しさを自覚することはない。

旅の中で、誰かと会い、語り、一緒にお酒を飲んだ時にこの淋しさを感じるのは、人との触れ合いによって生まれる心の摩擦によって、内に秘めた淋しさが露出してしまうからだろう。

ひとりでいることはもはや日常であり、そのことに対して痛痒を感じなくなっていたのは、ただ淋しさに蓋をしていただけであって、淋しさそのものがなくなっていたわけではないのだ。

私は人嫌いであると、そうやって人付き合いを忌避しようと努めているのは実は本当ではなく、人に会いたい、話をしたい、誰かを認めたい、認められないと云う人並みの欲求を私も持っている。

そして、その欲求が叶えられないのなら、いっそのこと人からは蛇蝎の如く嫌われてしまって、誰とも話さなくていいように、一生部屋に篭ってしまいたいという拗ねた心も持っている。

如何にも手前勝手な考え方をするようだが、これが本当の私なのである。

旅と云うものは何も愉快なことばかりではなく、時に痛烈な反省をもたらしてくれるものだ。