叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

バエ


バエという言葉が流行って久しい。

未だにバエを求めて東奔西走している人は多いようで、飲食にしろ観光にしろ、サービス業に携わる人間はこのバエを意識せずには商売が出来ない状況である。

バエる写真とは、自らの視点や感性を使って創り出すものだと考えている私としては、ただ提供されたバエを嬉々として写真に収めている人間に対してあまり良い印象は持てないのだが、ひとつだけ気になることがある。

それは、この人達からスマートフォンを取り上げてしまった場合、バエを撮ることはやめてしまうのだろうか、ということだ。

若し、この人達がスマートフォンを取り上げられたとしてもバエを追い続けるというのなら、衰退の一途を辿るカメラ業界の希望の光になる可能性が十分にある。

美しいものを美しいと認め、それを写真に収めようとする感性を彼等は持っている訳で、今はお膳立てされたバエにしか興味が無いとしても、今後自らバエを創り出すことに目覚め、その為にはスマートフォンに付いている程度のカメラでは役に立たぬと、本式のカメラに乗り換えてくれる人達が出て来るかもしれないのだ。

そんな人達が沢山出て来てくれるように、カメラメーカーはもう少し真剣に考えて欲しい。

異常な連射速度も高画素もオートフォーカス性能も要らないから、それこそ所有していること自体がバエるような個性豊かなカメラを作って欲しい。

今、バエを追い掛けている人達こそが、今後のカメラ業界や写真業界を担う人材なのだ。

それを取り込む事が出来なければ、写真業界の明日は惨憺たるものになるであろうことは、想像に難く無い。