叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

休日


2日もイレギュラーな休みがあったおかげか、今日がまだ土曜日だということがとても不思議な感覚である。

思い切り遊んだ次の日がまだ休みで、そしてその翌日も休みだというのは実に素晴らしく、今日のようにゆっくり眠って夕方から夜桜見物に出かけるという乙な休日を過ごすこともできるのも、明日まで休みだという安心感があるからに他ならない。

さて、その夜桜見物の場所だが、実は一昨日も行った岡崎城公園に行った。

一昨日よりも咲き進んでいるだろうし、昼と夜ではまた違う顔を見せてくれるだろうというわけである。

最近通っているワッツコーヒーで、美味しいアイスコーヒーとブラウニーを食べて水分と糖分を補給をしてから、とゆっくりと出かけた。

それにしてもこのカフェ、失礼ながら最初に入った時はあまり人が入っていないような気がしていたけれど、実はなかなか人気店だったようで、以前たまたま入れたのは運が良かったようだ。

私はこういうことがママある。

肝心の撮影については、Portra400の残弾と、もしそれで足りないようなら夜戦用のcinestill800を使おうと思って持ってきたけれど、cinestillを使うまでには至らなかった。

マァ、無理をして撮ることもない。

明日はポートレートを撮るからその時に使おう。

拾う神再び


本日も稼働停止になった。

どうやら、あまり良くないことが起こっているらしい。

既に来週の火曜日まで稼働停止が決まっていて、可能ならばそこまで有休を使ってほしいとのことだったが、火曜日まで休むと残り少ない有休を全て使い果たしてしまう。

5月になればまた10日もらえるけれど、まだ4月も始まったばかりだし、手首の痛みが耐えられぬほどになった時に休めなくなるのは困るので、今日までは休んで月曜日からは出勤することにした。

という訳で、あまり積極的な理由ではないけれど、せっかく発生した有休を活用すべく、今日はのこのこ京都まで行ってきた。

目的はもちろん桜である。

花曇りよりも少し晴れ寄りの、強写真を撮るには絶好の天気の中を京都駅から鴨川デルタまでどんどん歩きながら写真を撮った。

今日は平日、というのは国際観光都市である京都には関わりないことで、特に四条のあたりは祇園祭のような混雑ぶりだったけれど、積極的に街中に入らなければそうストレスがたまるということもない。

それに、私の場合は行程の殆どが歩きだから、巷で言われているオーバーツーリズムなどどこ吹く風で、時間がたっぷりあって脚が元気な人には是非このやり方をお勧めしたいと常々思っている。

特に京都はただただ歩くだけでも実に面白く、これは私が写真を趣味にしているからそう感じるだけのことかもしれないが、そうであるならば皆んな写真を始めれば良いのだ。

これが暴論であることは承知しているけれど、人の頭ばかり見続けねばならぬような観光をするばかりで、京都なんて人が多くてただ疲れるだけの場所だと思ってしまうよりはよほどマシだと思う。

もし、私に京都を案内して欲しいという女性がおられるなら、京都らしさを感じつつも、人混みはほどほどで済む観光のプランを提案させていただくのでぜひ名乗り出て欲しい。

拾う神


どういうわけだろうか、本日は工場の稼働がストップしてしまった。

全社的な休日ではないから貴重な有休を使わなければならないし、夜勤の手当等が吹き飛んでしまうのだが、そんなことはどうでもよいと思えるほどに素晴らしい天気だったのでお花見に出かけた。

場所は近場の岡崎城周辺。

まだ満開というわけにはゆかなかったが、期せずして得た機会だからそうそう贅沢も言えまい。

花見に集まる人たちの中に混じって写真を撮るのはそれだけで実に愉快なものだし、私は花見に来た人が発する言葉が好きで、綺麗だねぇとか咲いてよかったねぇと言葉を交わしているのを聞くと嬉しくなってしまう。

撮れ高についていえば、人が多過ぎてシャッターをなかなか押せないし、もともと花を撮るのが得意ではないからあまりなかったかもしれないが、この雰囲気を味わうことができただけで十分満足である。

今年の花見は晴天の下ではできまいなと完全に諦めていたのに、まさに捨てる神あれば拾う神ありという1日だった。

疲労


旅の疲れを、いまだに引きずっている。

なぜそんなに疲れたのかといえば、先ず両日とも25,000歩に迫る歩行距離だったこと、そして移動に片道6時間を費やしたこと、宿泊をカプセルホテルにしたことが原因だろう。

よく歩いたことについては、そうしなければまともに写真が撮れないわけだし、それがそのまま旅の充実に繋がるわけだからどんなに疲れたところで構わない。

問題は移動と宿泊である。

移動といってもただ電車に乗っているだけのことではあるのだが、必ずしも座っていられるわけではなく、特に今回は帰路ずっと立ちっぱなしだった。

宿泊についても、安上がりは結構だがやはりカプセルホテルは狭っ苦しく、その日の疲れを十分に取り切ることができなかった。

旅の最中は愉快さゆえに感じない疲労を、最近はそれが終わってからどしんと感じるようになってしまって、それがいまだに尾を引いているというわけだ。

特に今週は夜勤だからその疲れが増大するばかりで、折角の愉しかった旅を恨みたいような心地でいる。

全く、歳は取りたくないものだ。

春愁


旅が愉快であればあるほど、その後に襲ってくる淋しさが大きくなってしまう。

このような気持ちになるのならわざわざお金をかけて旅になぞ出なければ良かったと思うほどに、日常のことごとくが物憂くなってしまうのだ。

今回は特に天候にも恵まれ、内容的にも相当充実したと思える旅だったから、とにかく淋しい、淋しい。

私にもまだこんな感情が残っていたのかと、自分でも不思議に感じてしまう。

季節が春だというのも良くないのだろう。

毎日毎日工場の中で同じ作業を繰り返していて、季節もへったくれもない日々を送る私からすれば、この季節はあまりにも眩しすぎるのだ。

こんな良い季節に、私は相変わらずガリガリガリガリ車を作っているばかりで、どんなに頑張っても日常の中に春らしさを見出すことは出来ない。

数年前前で働いていた時は、そのことが本当に嫌になってしまって、仕事をサボタージュしてまで京都まで花見に行ったこともあった。

今回はそこまでの酷さはないけれど、腱鞘炎を言い訳にして休んでやろうかぐらいには思っていて、明日から天気が崩れなければ実に危ないところだった。

いやはや。

4月


早い、あまりにも早い。

4月になってしまった。

トヨタ期間工として働き始めてからもう1年も経ってしまったとは到底信じられない。

赴任前に京都に行って鴨川の桜を眺めたこと、赴任して1週間研修漬けの日々を過ごした後、青春18きっぷの余りを使って熱海に行ったこと、それらが昨日のことのように思い出される。

昨日一昨日と同じように旅をしたせいで記憶が呼び起こされて特にそのように感じるのかもしれないが、それにしてもである。

歳を取れば取るほど時間の流れが早くなるということについて、若い頃は一笑に付していたし、そもそも人生の諸先輩方すれば私もまだまだ若いのだが、近頃は明確にそれを感じている。

毎日毎日同じ作業をしているということも、それを加速させているのだろうか。

ただ、時の流れが早いことは悪いことばかりではなく、愉しみな予定も案外早くやってきてくれるのだ。

この4月もさっさと過ぎ去ってゴールデンウィークがやってきて、それもさっさと過ぎ去って今度は夏がやってくる。

日々を、大切に生きなければなるまい。

刹那


今日のポートレート撮影のお相手はばたこさん。

本当は中目黒の桜並木で撮る予定だったのだが、今年は桜の開花が遅れに遅れており、中目黒もまともに咲いていないようだったので、急遽場所を逗子に変更してもらった。

逗子にしたのは、桜が撮れぬとなればやはり海に行きたかったのと、周辺の鎌倉や江ノ島の海に比べれば人が少なかろうという理由からで、何かこれという目的があったわけではない。

もう桜は殆ど諦めていたけれど、市街地を流れる田越川沿いに多少桜が咲いていて、多少は春らしい撮影ができたような気がする。

その後逗子海水浴場まで移動して撮ることにしたのだが、こちらは砂塵が舞うほどの爆風が吹き荒れていて、折角の晴天だったのに思うような撮影ができない。

雨に降られるよりは余程良いものの、十全の状態で撮ることができないのはやはり悔しいものだ。

だからといって撮影そのものが愉しくないというわけでは決してなく、ばたこさんとの撮影は本当にあっという間に過ぎてしまう。

今回もいつの間にか2時間が経過していた。

ばたこさんと別れた後は、全く咲いていないという目黒川沿いの桜を見に行ったのだが、やはり咲いていないものは咲いていなかった。

ただ人は相当多かったので、撮影場所を逗子に変更したのは正解だったかもしれない。

今回も相変わらずの弾丸旅行だったが、天候には大いに恵まれたし、好きな海を存分に眺めることができて実に愉しかった。

明日からの仕事は、マ、勿論やりたくないけれど、ひと月耐えればゴールデンウィークがやってくるわけだから、それだけを愉しみに頑張るとしよう。