叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

狂騒


SONYから新しいカメラとレンズが発売されるということで、YouTube界隈が大変盛り上がっている。

今のところ新しいカメラは少しも欲しくないのにそういうチャンネルを観る理由は、内容云々よりもコメント欄が気になるからだ。

最新のカメラを買うことが何よりの幸せだと信じて疑わない人や、やたらと屁理屈をこねては不貞腐れている人など、様々に書き散らしている人たちを見ていると、一般的にはカメラ好き、写真好きと括られてしまう人種にも様々な思想があることが理解出来る。

大体、カメラの性能はここ数年成熟してきていて、具体的にどこが進化しているのかぱっと見では分かりづらいし、通常人間が暮らしている程度の環境で、目の前にある光景をそのまま撮影する為に使うのであれば、90年前のカメラでも十分間に合うのである。

写真を撮るという目的は既に大体が果たされているというのに、人々をいつまでも踊らせるカメラとは、何と罪作りな存在なのだろうか。

新しいカメラやレンズを買うことは別に悪いことではなく、スランプから抜け出す為に機材を変えるというのは昔からあるやり方だし、カメラにはコレクションする愉しみもある。

ただ、その機材を以て何を撮るのかということについては、写真好きを公言する以上は常に考え続けねばならないと思う。

私自身も、そのことに気付きながらもずるずると機材にお金を注ぎ込んでしまって、今考えると実に愚かなことをしてしまった。

多少の後悔はしているけれど、今はそういう世界から足を洗って、実に晴れやかな気持ちで90歳の愛機との写真生活を送れていることを思えば、無駄金では無かったのだろうか。

マァ、そのお金があれば、デジタルのライカですら易々と買えていたという事実は頭から離れないけれど。