叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

是々非々


例えばの話し、殺人犯に殺人を咎めかれるような事態になったとして、殺人は悪であると素直に認めて思いとどまることが出来るかどうか。

悲しい哉、人間はどこまでも感情の生き物で、どんなに正しい意見であったとしても、それを主張する人間にその資格が無いと判断した時や、その人間自体が気に食わない時は、はいそうですねと、素直に従えないことが往々にしてある。

それを、あまり極端にやらなければ人間味があるで済むのだけれど、一から十まで坊主憎けりゃ袈裟まで憎い方式でやられると、お互いにとって大変不幸だと思う。

日頃の行いが悪い人間が主張することを受け入れ難いという気持ちも大いに分かるのだが、それを上の立場の人間が大っぴらにやってしまうと、周囲もそれで良いのだと受け取ってしまって、受け入れられなかった人はますます腐ってしまう。

馬鹿と鋏は使いようという諺があるように、頭ごなしに押さえ付けてしまわないで、上手に掌で転がすことは出来ないのだろうか。

この人手不足の時代に、ひとりの人間を腐らせて死蔵しておくのは非常に勿体ないことである。