叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

さっさと死なしてくれ



人間という生き物は、ただ生きるだけでは満足出来ず、常に何かを欲していなければ死んでしまうくせに、欲を掻けば掻いたでどこまでも膨脹するそれを抑え込むために苦悩するという、なんとも矛盾した存在のようですから、そんなことで苦しむぐらいなら、引き際は各々判断して適宜死ねば良いと常々思っております。


人間が生きなければならない意味について、個人的な回答を引き出すことは可能でしょうけれど、これだけ価値観が多様化した社会で、それに普遍性を持たせることは不可能でしょう。


にも関わらず、今の世間というのは必死に人間を殺さないようにしていて、もう死なしてくれという人がいたとしても、自決という言葉の中に死という選択肢だけは有り得ないというものの如く、夢や希望をちらつかせて頑張れ頑張れと言うばかりで嫌になってしまいます。


人生の苦楽は詰まるところイーブンになるとか、生きてさえいれば想像もしていなかった素晴らしい世界に出会えるとか、そういうのもひとつの真理なのでしょうけれど、それを信じることが出来ない人間については、もはや延命措置などして欲しくないのです。


こんな私を弱いと蔑む人がいたとしても、私はそれも大いに結構で、まさに弱肉強食、適者生存の摂理に適うものですから、ぜひ強い人間たちでこの世の中を創っていただきたいと思います。


私は苦痛に満ちた日々に耐えたり、そこから脱却するための努力を美徳と思う経験も訓練もしてきませんでしたし、三十を超えた今となってはそれをしようという気もありません。


ただひとつだけ、不本意な死は受け入れても、不本意な生だけは受け入れたくないと、そこから死をもって逃げるという選択肢を忘れたくないと思っている今日この頃なのです。




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