叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

死に場所


ウクライナがまだまだ頑張っているのは、諸外国の支援もさることながら、そもそも国民全体の士気が高いからだろう。

ジャベリンやドローンが幾ら豊富にあったとしても、人間の意思の力なしでは動かないのだから。

もし、今後日本が戦争を行うとすれば、昔のように外地を持たない日本はいきなり本土決戦を迎えなければならない。

そうなれば自衛隊だけに任せておくというわけにはゆかない訳で、非戦闘員も大いに戦わなければならないし、その方が相手に与える打撃も大きい。

海に囲まれた日本、どうせどこにも逃げ場はないのだ。

もし運良く逃げることが出来たとして、そんな臆病者ばかりの国を一体誰が助けてくれるのか。

それに、女子どもならまだしも、健康な男子青壮年が無様にもそれをやってみ賜え。

国際社会からは大いに軽蔑され、微かに残っていたかもしれない大和魂は完全に地球上から滅び、多少は尊敬の眼差しを浴びていた日本の文化も一顧だにされなくなるだろう。

国土だけは保全出来たとしても、容易に外圧に屈した国としての不名誉は将来に渡って禍根を残し、もはや日本人としての誇りを持つことすら出来なくなる事は想像に難くない。

決して攻められることはないという人、もし攻められても命が大事だから戦争はしないという人は、こちらが戦う意思と手段を持たなければ、相手から殺されることは決してないと本当に信じているのだろうか。

もし殺されなかったとして、戦わなかったが故にどこかの属国になってしまって、日本人としての誇りや文化を根刮ぎ奪い取られてしまっても良いのだろうか。

それとも、将来のことはどうでも良いから、兎に角今の自分の命だけは守りたいということを言っているのだろうか。

私は、戦わずして相手の言いなりになるとか、国を取られてしまうとか、そういうことは真っ平御免である。

外国から侮りを受ければ、少なくとも男は必死で戦わなければならないと思う。

問題は日本の政府に、戦争を覚悟してその準備を整える気概が全く見えないことだ。

戦う手段も武器も持たない一般市民がひとりで頑張ってもどうにもならないのだから、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ、という精神を持った日本人に立派な死に場所を与えられるような国づくりをして欲しい。

一旦事が起こった時に、国民が一体となって戦うための根拠すらなく、その手段も与えられぬまま徒に死なねばならぬというのは本当にやり切れない。

当然、ただ死ねればいいということではなく、戦いを決意するまでの過程には平和への努力も必要だし、いざ死ぬにあたっては大義も必要だが、そういうことを日頃から真剣に議論して、事が起こればすぐさま実行に移せるような日本になって欲しい。

国の凌辱せらるるに当りては、たとえ国を以て斃るるとも、正道を踏み、義を尽くすは政府の本務なり


とは西郷南州翁の言葉だが、今改めて、この言葉の重みを差し迫った現実ともに噛み締めたいし、具体的に行動を起こさなければならない時だと思う。