薩摩の武士が修めた剣術に、薬丸自顕流というものがある。
ただ敵を斬ることだけをひたすらに修練するという、どこまでも実戦向きの剣術で、私は大学の4年間、特に人を斬る予定は無かったけれど毎週稽古に参加していた。
薬丸自顕流はとてもシンプルな剣術である。
稽古をするのは斬り下げと斬り上げのたったの二つの太刀筋だけ。
そして、その二つの太刀筋で以て敵に突っ込んでゆき、その後は敵が斃れるまで刀を振り回す。
躱されたらどうするのかとか、反撃されたらどうするのかとか、そんなことは一切考えない。
もし、躱されたらその方向に向き直ってもう一度太刀を振るだけだし、反撃を受けたらその反撃ごと叩き斬るだけなのである。
私は、そんな自顕流の哲学と、ライカの哲学が同じように思えてならない。
兎に角、写真しか撮れない。
その割には、様々な被写体に細かく対応する器用さも他のカメラに比べれば少ない。
ただ、それゆえに迷いがない。
被写体を前にして、ぐだぐたと思考することなく、ひたすらシャッターを切ることが出来る。
自顕流の場合は、それが斬るべき敵になるだけ。
やはり、行き着く先はシンプルなのだと、改めて思う。
短い人生だから、そう多くのことは出来ないと最近は考えるようになっている。