三重は、私にとっては敵地である。
紀州尾張の徳川家をはじめとして、桑名の松平、津の藤堂、彦根の井伊など、錚々たる徳川譜代の大名たちが治めた土地なのだから。
とはいえ、令和の御世に、何か感情的なしこりが残っているはずもない。
明治維新は、鹿児島にとっては勝者の歴史だから、政治にしろ、経済にしろ、観光にしろ、何かといえば明治維新から教訓を引き出そうとするから、私のような人間も出てくる。
勝者がいれば敗者もいる訳で、鹿児島の人間がいつまでも明治維新に拘っていることを、苦々しく、呆れて見ている人も多いのだろう。
鹿児島を一歩出てみれば、あの当時、それぞれの立場で、ぎりぎりの決断をしてきた人たちの姿が見えてくる。
我々が大きな顔をしていられるのは、そういう人たちの犠牲があったからだということを忘れてはならないと思う。
マァ、今更こんなことを考える物好きも、そうそういないとは思いながら。