叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

飛ぶが如く

ロシアとウクライナの戦争が始まった。

やはり、経済制裁と遺憾の意で戦争を止めることは出来ないようだ。

直接的な武力の行使によって、その国家の欲望を満たそうとする行為が、まだまだ現実的な方法であることを如何に捉えるべきか。

日本は戦争を放棄している。

それは、話し合いの出来ない相手が武力を行使してきた時には、坐して死を待つというのと同義である。

護りたい何かを護るためには、闘わなければならないことあるのだ。

日本人が日本人として生きる為の権利を侵されそうになった時は、やはり闘わなければならない。

こういうことが起こるたびに、その方法を考えざる得ない。

軍人になるということだけが、国を護ることではないということは十分理解した上で、それでもなお何が出来るのか。

地球市民というような人種は、まだまだ存在しないのだ。