叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

被写体

 

ソールライターの写真集を購入した。



何故私が彼の写真を好むのかということについては、非常に言語化が難しい。

最初は、街の光景に人物を紛れ込ませるという、私自身が好きなスナップ写真のお手本としようと思い手を出してみたのだが、種々思案してみるとそう単純な話でもないようで、ソールライターの写真から試みに人物を消した絵を想像してみると、それで十分に私の好きなスナップ写真になるのである。

だとすれば、彼のスナップ写真が私に突き刺さる理由は、人物云々の話では無く、単にその構図や色彩の妙故なのだろうか。

そもそも、彼の写真の中の人物は、遥か遠くに小さく写っていたり、遮蔽物に隠れて体の一部しか写っていなかったりすることも多い。

ただ、例え写真の面積に於ける人物の占める割合が低かったとしても、ソールライターが撮る写真の中の人物は明らかに際立っていて、それが構図によるものなのか、色彩や建造物を利用した視線誘導によるものなのか不勉強な私には分からないけれど、人物無くしてはソールライターの写真は成立し得ないとも思う。

つまり、彼の写真を構成するものとして、人物が欠かせない要素であることは確かなのだけれど、決してそれがメインではなく、街を構成するあらゆる建造物や、その中にある美しい色も全てが彼の写真の中では欠かせない要素になっていて、本当に彼が撮りたかったものは一体何だったのだろうかと常に考えざるを得ないのだ。

もし彼に質問をする機会が与えられるならば、貴方は被写体として何を最も重要視していたのか、例えば良い街の風景とか印象的な色が先にあって、そこに人が紛れ込んできる瞬間を待っていたのかなど、色々と聞いてみたい気分になっている。

私は人物が写ったスナップ写真が好きだが、今は人物を撮ることばかりに気を取られてしまって、写真の中の色の選択とか遮蔽物の効果的な活用とか、そこまで考えるまでには至っていない。

今の私の実力では、ピントや露出に構っていては構図や色に集中出来ないから、明日からはゾーンフォーカスを使ってどしどし写真を撮ることにする。

オリジナリティというのは、その積み重ねの中で勝手に出て来るだろう。